初めての盆栽

盆栽の歴史

  • 香川県高松市鬼無地区から国分寺町端岡地区周辺にかけては、松の盆栽で全国シェアの約八割を占める一大産地です。樹形の美しさに加え、水はけのよい砂壌土で育った松は「根腐れしにくく、傷まない」として定評があります。

    そんな松盆栽の歴史はさかのぼること二百年。先覚者が付近の山地や瀬戸内海の島々、海岸に自生する木を培養し、販売したことに始まる。

    一八九四年、国分寺町の末沢喜市氏が、先進地だった鬼無地区の協力で錦(にしき)松の接ぎ木に成功、大量生産が可能となった。右肩上がりで推移してきた生産も、第二次世界大戦で生活がひっ迫、作物生産のために畑一面の松は薪に姿を変えた。こうして一時途絶えた盆栽も、戦後、畑の隅にわずかに残っていた松の接ぎ木により復活しのです。

    戦後の経済成長と盆栽人気で一気に需要が拡大、次々と名品を送り出し、全国に「香川」の名を広めた。

    近年は、住宅環境の変化やライフスタイルの多様化などにより国内市場は伸び悩んでいるものの、世界的な「BONSAI」ブームで、欧米やアジア向けの輸出が盛んになっている。

    香川県国分寺町は町木が松ということもあり、栽培が非常に盛んです。また、綿松の発祥地としてもしられています。

  • 錦松の父 末澤喜市翁

    末澤喜市翁は今日の錦松盆栽の基礎を築き錦松盆栽を実益を兼ねた産業にまで育てた大先覚者である。明治25年頃錦松を見出し、遺伝性の原則から接木活着に成功し、明治27年に白芽錦松の「日清」を生み出し、翌年には赤芽山錦から「末広」を生み出した。喜市翁はこの錦松の接ぎ方、仕立方に半生を捧げ、直幹作り模様木から根連れ筏作り等の珍木を次から次へと考案していった。昭和6年68歳で亡くなるまで翁は盆栽業界に尽力し続けた。まさに盆栽史を彩る最高の存在であり、私達盆栽職人の誇りである。

    現在、盆栽農家は約二百七十戸。栽培面積も一九六〇年代の最盛期の半分以下まで激減している。

    樹木や草花をつかさどる神様を祭っているといわれる盆栽神社(国分寺町新居)では石碑が建てられている。

    JA香川県国分寺盆栽センター より

盆栽市場の商品

黒松

黒松は瀬戸内海の島々沿岸一帯より原木を掘り出したもので皮、葉性、芽吹き優れています。最近ではその原木不足のため瀬戸内の老松の種より育成もしております。

錦松

錦松には多数の品種があり赤芽系と白芽系に大別されています。芽の色・形・樹皮の割れかた、葉の形等で識別されます。末広(赤芽)、旭光、飯原、大平、勝賀、富士、大和、隼、その他。

五葉松

五葉松は比較的成長がおそく短葉のため一度完成した樹形はその後数年にわたってくずれないので好評です。